中土手のごみを見つめて

こずえ 

私は、荒川に行くようになってから、環境について深く考えるようになった。特にゴミグループになってから、環境間題は、人間が原因だという事を、あらためて、考えるようになった。看板を立ててもゴミは、減らない。本当に看板は、意味があるのか。
いろいろな、ゴミを拾うなかで、一番印象に残っているのは、下着だ。もとは、人間が使っていたものだ。動物は使わない。その状況を見るからに、数十枚はある。きっと下着ドロボーだと思うと佐藤さんが言っていた。やっていられない。盗むことだけでも犯罪なのに、捨てるなんて許せない。人間が捨てるゴミ、例えば、食べ物の残りや、飲料かんに残っている飲み物を、そのまま池や川に捨てたりする。すると、水は、汚染されて、池や川に住みついている生き物が苦しむ。やがてそれは、人間にもえいきようを及ぼすであろう。深く深く考えると、とても深刻な問題だ。食物連鎖という言葉がある。別の言い方では、命のつながりだ。一つの生き物がなくなるのは、命のつながりが切れるということだ。

 人間の、一人一人が深く考え、ゴミを捨てないように努力しなければならない。

私たちは、四年生のころから、荒川探検をしている。五年の最後の探検あたりから、ゴミグループとしてゴミを拾い続けている。五年の最後の探検では、6人で629個拾った。これだけのゴミがあると、いろいろな種類がある。例えば、自転車。ボロボロになった古いものだ。タイヤもあった。それ以外にもたくさんのゴミがある。

6年の夏に行ったときは、4人で337個拾った。予想では、かんやビンが多いと思っていた。 そこまでいうほどでもなかったが、多かった。しかし(かみ)(いけ)の周りには、あまりゴミがない。

 秋の探検では、4人で205個拾った。やはり、上の池の周りには、あまりゴミがない。前に立てた『ゴミを捨てないで』の看板の効果なのか。でも看板を壊された時は、ショックが大きかった。その看板が壊された時から、ゴミが増えた気がする。次は、中川の方に行ってみた。たくさんのゴミが途中から捨い始めたため、あまり、拾う事ができなかった。五色池や上の池などは、クリーンエイド・フオーラムや区役所が毎月ゴミを拾っている。けれど中川などには目が届いていない。だから多いのだろう。

冬の探検では、4人で259個拾った。中川に行った。たくさんのごみがあった。見ただけでも500個以上のごみがある。ほとんどが拾えなかった。スーパーの袋が一番多かった。その次に、紙が多かった。この日は、雑誌がいつもに増して多い。大人が読む雑誌だ。少なくとも、この雑誌は、大人が捨てていると思う。よく、競馬の馬券も捨ててある。それも大人しか持っていることはない。最近は、無責任な大人が多いと思う。

私達は、五年の夏ごろから、大杉池という、池を掘り続けている。生き物が豊かに暮らせるように、作り始めた。六年の冬の探検では、環境促進事業団やクリーンエイド・フォーラムの方にも、大杉池の完成式に来ていただいた。大杉池の周りに、湿生植物園を作るという話を初めて聞いて、とてもうれしくなった。地図にも大杉池と、名前がのるそうだ。あらためて、荒川探検をしていてよかったなぁ−と思った。

私は、土手のゴミを見つめる事によって、世界の大きな課題を見つけることができた。その大きな課題を、私達人間は、見つめなおし、それを実現させなくてはならない。自分の使った物を、片付けるのは、小さな子供でもできる。簡単なことができない人が、世の中には、たくさんいる。例えば、便える紙はリサイクルする。使わない電気は消して、省エネする。買い物に行っても、マイ袋を持っていくなど簡単なことだ。

荒川に行って、自然という、宝物に出会った。初めて、荒川に来たときは、汚いな−としか思っていなかった。しかし、何回も何回も活動が続くことによって、宝物に見えてきた。荒川は、私達の故郷だ。そんな故郷を、大事にしていきたい。

環境がどんどん悪くなっているのは、国だけのせいではない。一人一人の問題なのだ。私達の学校では、調埋実習の生ごみは捨てずに、こまかくして、二ワトリのエサにしたり、「残さい0の日」や「ゴミを滅らそう一週間」などを作って、ゴミを少なくしようとさまざまな努力をしている。私は、ゴミは、分別して、ゴミ箱に捨て、荒川や道路には、絶対に捨てない。もちろん、私だけじゃなくて、みんなにしてもらいたい。私達が立てた看板が無駄にならないように!

私は、ゴミを見つめなおす事によって、環境間題の大きな原因を見つけられた。その原因を見つける事によって、あらたな課題『自分の物は、貴任を持って、処分する』を見つけられた。せっかく課題を見つけることができたから、それを実現できるように、努力していきたい


捨てられるゴミの気持ちも考えてほしい

                                                ちあき

私達が荒川の目然と、かかわり始めたのは、四年生の時でした。私は、ゴミ捨いをした時、汚いと思っていたけど、やっているうちに、生き物の事や環境の事を考えるようになりました。それから、私は、ゴミグループに入り、ゴミ拾いをする事にしました。そして、五年生の時に大杉池という池も作りました。
私は、その大杉池に生き物や、トンボがいたらうれしいなあと思いました。それから、大杉池はとても順調に掘っていたのは、いいのですが、あんまり生き物がいなくなりました。生き物がいなくなったわけは、水がなかったからです。池の中はからっぽでした。何でからっぽなんだろうと思いました。それよりもっと気になったのが池の周りにゴミが落ちていたことです。このままでは、私達が作った池がだいなしになっちやうと思いました。私はなんで池に、ゴミを捨てるんだろうと思いました。
初めての探検は、四年生の夏。最初は、荒川はどんな土手なのかなあと思ったら、五色池や上の池とか、いろんな池がある事を知りました。初めての探検は、とてもドキドキでした。私達は中川側のゴミを捨いました。中川の方は、ごみだらけでした。やっぱり一番多いのは、たばこ、お菓子の袋でした。何でこんな所に、こんなのが落ちているのと思うものが、捨ててある時もありました。下着とかタイヤとか自転車が捨ててありました。清掃を続ければ続けるほどゴミはでました。ふだん気づかない所に、ゴミがあったり、一ケ月前にゴミ拾いをやったはずのが、もうゴミだらけになっていました。私は自然を取りもどす前に、ゴミをどうにかしなきゃと思合計は百個以上のゴミが。私は、夏がとても暑いから、ペットボトルとかを飲みっぱなしのままにしといて、風にとばされたと思います。なんで人間はゴミを捨てるんだろうと思いました。
私は、ゴミの気待ちも考えて。ちやんと働いて人間の役に立てるのに、捨てられるのはとてもいやだと思いました。そのゴミの気持ちも知らずにゴミを捨てるんなんて、ひどいと思います。ペットボトルだって、人の役に立つように、持ち運びだってできるから、とても便利なのに、人が捨てたら意味がないと思いました。もっともっとゴミの気持ちも考えてほしいと思います。
次に私が思った事は、ゴミはこのままず−とあるものなのかと思いました。人間しか、ゴミはださないのに、そんなゴミがず−とあるものなのかと思いました。私は、大人が捨てていると思いました。半分のちょっとは子供が捨てているけど、もっともっと捨てているのは大人だと思います。ホームレスさんとかよく土手に来る大人とかが捨てに来ると思います。大人は子供に「ゴミは外に捨てちやだめよ」と言っているけど、実際は、自分自身がやってると思います。なぜ大人は、わからないのでしようか。どうしたら大人はゴミを捨てなくなるのでしょうか。今まで私達は、ゴミを捨てないでという看板を何個も作ってきたけど、作った意味が全然なく、ゴミグループはとてもショクでした。でも私は思います。私達が身近な所でクリーンエイドをしていれば、その部分だけでもきれいになり、自然を取りもどした荒川になると思います。その影響によって周りも自然いっぱいの江戸川区になると思います。そんな夢みたいな現実は遠いと思うけど、身近な所で自分なりに努力をしたい思います。
次に思った事は、環境についてです。今、どういう環境かという事について考えてみました。
いまの環境はとても不自然な環境だと思います。ゴミが増えつづける中、環境はもっと悪くなると思います。そこで私は、自分達でできることを考えてみました。先ず、リサイクルできるものはリサイクルする。次に環境にやさしい製品を作るなどすれば自分でもできると思いました。こういうことを一人ひとりやれば、地球の環境も変わってくると思います。だからみんなも、リサイクルとかを身につけて生活をしていきましょう。この
3年間、荒川探検が自然の大切さを教えてくれたと思います。私は、一人ひとりが努力すれば、きっとゴミを捨てる人が減ると思いました。そしてゴミがない荒川で、植物や生き物達が気持ちよく過ごせる荒川になることを信じて、これからも荒川を守っていきたいと思います。」

大杉小学校卒業論文集 『荒川中土手探検』

江戸川区立大杉小学校の今春卒業した6年生は、4年生のときから、中土手探検を始め、卒業までの3年間、荒川と中土手に来て、遊びながらさまざまなことを体得した。2クラス50余名の子供たちが、荒川・中土手で感じ、学び取ったものを『卒業論文集』としてまとめた。
 以下にそのいくつかを紹介するが、これらは特に優れた作品ということではなく、殆んどの子供たちが同じような意見を述べている。ゴミで汚された荒川の叫びが子どもたちに届いたというべきか、川を含む自然の持つ教育力を実感させられる作品である。佐藤正兵

人間が生きている限りごみはでる
                                   えみ

「ああ、またゴミがあるよ」私は、4年生の時から始めている荒川中土手探検で何度この言葉を言ったことだろうか。

初めて荒川中上手に行った時、正直とてもびっくりした。いつもは、道路や家しか周りになかったけど、ここは違う。周りを見渡せば、植物や生き物達に囲まれた自然のランドだった。耳をすませば、鳥の声や虫の声、植物が風にゆれる音など自然の宝物がいっぱいの場所だ。でも自然にまぎれて「ゴミ」もあった。ゴミは、草の中や岩の間にはさまっていたり目立たない所にたくさんあった。植物は、ゴミの重さで折れてしまったり、川にゴミが流れていたりして、自然は、たくさんの被害を受けているのを目の前にして私は、ボー然とした。

次の探検では、自分が調べたいグループに分かれた。私は、ゴミグループになった。自然があれほどゴミに被害を受けているのを見て、ただボーっと見ているだけでいいのか・・・・。そう考えるとなんとかして荒川のゴミを無くせないか、と思ったのがゴミグループに入るきっかけだった。

それから私達は、自然に興味を待ち始め、年に数回行くようになった。荒川中土手は、四季によって自然の雰囲気を変えていた。私は、ゴミも四季に関係しているのかと思い、課題を立てて1年間通して調べてみた。

 

〈春〉[5月14日 五人で活動]

春は、思ったより少なかった。土手にテンテンと紙くずがあっただけで、私は安心した。でも荒川の川沿いにボロボロになった自転車を見つけた。タイヤが二つ無くて、もういらないって感じの自転車だった。他にも、骨が折れている傘などもあって、「便えなくなったら土手に捨てる」という考えの人もいるんだ、と知った。春のゴミの合計は、420個だった。

(夏〉[7月18日] 五人で活動

夏は、土手だけじゃなく中川の川沿いも拾った。中川の川沿いは、ずいぶん前からゴミが捨てられていたらしく、ゴミが土に埋もれていた。拾っても、拾っても滅らないゴミ。「何でこんなにあるんだ」と思うほど果てしないゴミの量だった。土手の方は、女の人のショーツがあった。下着ドロボーが盗んできたのを捨てたのか、分からないけど「キャーキャー」と言いながら拾った。

「ショーツなんか捨てるなよ」とみんなで言い合った。夏のゴミの合計は、1371個だった。

 

(秋)[1115日 五人で活動]

秋は、夏休み土手に遊びに来た人がゴミを捨てていったのか、ゴミが多くなっているような気がした。一番多かったゴミは、新間だ。新間を見ると、3日前の新間があった。新間は、リサイクルに出せば、紙やトイレットペーパーなどになるのに、なんで土手に捨てるのだろうか、と思った。秋のゴミの合計は、582個だった。

(冬〉[2月4日 6人で活動]

冬は、中川の川沿いにあったヨシが切られて、ゴミが一ケ所に集まっていた。拾っていると、ズボンやくつや靴下など生活用品が捨てられていた。一体だれがこんな所に捨てるのか。自然なんかどうでもいいと思っているのか、と腹が立った。人間は、食物連鎖というのでつながっている。植物は、私達人間にとってかかせないのに、自然にゴミを捨てるなんて許せない、と思った。冬のゴミの合計は、619個だった。

一年間通して、ゴミを調べてみて「ゴミは、四季に関係なく捨てられている」というのが分かった。ゴミは、人間が産み出している物。自分が捨てたい時にゴミを捨てるから、ゴミが増えたり減ったりしているのだ、と私は思った。

ゴミは、四李に関係ないという事が分かり、次にどうすればゴミが減るのかを考えた。今までゴミ拾いをして思った事がある。それは、土手にゴミ箱が無いことだ。なぜ土手にゴミ楕がないか考えてみた。ゴミ箱は、ゴミを入れたらまとめて捨てるための物であり、集まったゴミは、だれがゴミを回収してくれるのだろうか。それと土手は、あまり人気のない場所。だれがゴミを入れてくれるのだろうか。この二つの理由からゴミ箱が無いことが分かつた。

次に、自分達で作れる物を考えた。今私達が願っているのは、ただ一つ「ゴミを捨てるな」この言葉だ。だから土手にゴミを捨てる入でも見れる「看板」を作る事にした。自然のためにもゴミを捨てないでと気持ちをこめた看板を2003年7月18日に立てたが、その7ケ月後に看板は、壊されてしまった。ゴミを土手に捨てる人がこの看板を見て、これからゴミが減るはずだったのに、ゴミも減らずに看板がゴミになっていた。とてもショックだった。今、自分がやっている活動は、無駄なんじやないかと思えてきた。こんなこと、なんで私達がやらなくちゃいけないんだ。そもそも私は、ゴミなんか捨てていない、と思った時もあった。でも、今自分がやっている活動は、正しい事だ。今ゴミの間題は、戦争と言われるほどひどくなっている。このままゴミなんかに負けてはいけない。私は、めげずにゴミを捨い続けた。看板ももう一度作り直して、土手に立てた。私は、もう一度ゴミの問題と正面から向き合った。

六年生になってもう一つ大きな課題が出来た。それは池を掘っている事。小松川橋の近くにある、上の池の隣に池を掘っている。

なぜ池を掘っているかというと、生き物が住めるように池を一生懸命掘っている。最初は、全然水が出てこなくて「もうダメかも・・・・」と思ったりした。けど、50センチ位掘ると水が出てきて、どろどろになった手で友達と手を取り合いジヤンプして喜んだ。その後、探検に行くたびに池を掘った。みんな汗が出たり、手が痛くなるまでシヤベルを持って一人一人が一生懸命池を掘った。

また、探検以外でも先生と一緒に来て、池を掘ったりもした。そして約一年後、やっと池が完成した。まだ生き物は、住んでくれてはいないが、池の形は出来た。この池は、全然水がたまんなくて今は、ただ穴があいたように見える。でもこれから、水がたまるように色々工夫をするのだ。

そして池の名前は、私達大杉小学校の六年生が作った池として「大杉池」と名前をつけた。大杉池は、私達にとって汗と涙の結晶の池なのだ。だから早くたくさんの生き物が大杉池に住んでくれるといいな、と思っている。

この三年間、荒川中土手探検をやって「自然の大切さ」というのが分かった。

「ゴミは自然を汚している」と思った時からゴミを拾い続けて私は「人間が生きている限りゴミは出る」というのが最終的に分かった。だから私達人間は、自然をゴミ捨て場とせず、ちゃんと決まった場所に捨てたり、リサイクルに出したりする事は、大変な事だけど、小さな事から一人一人が努力すれば、荒川にゴミを捨てる人がいなくなると思う。私の学校では、月に一回ゴミを滅らそうという活動あり、使える紙はリサイクル箱に人れたりして、ゴミを減らしている。ゴミは、自分達から進んでリサイクルに取りこむ事も大切なのだ。

私たちはもう卒業だけど下の学年に荒川中土手探検をこれからもずっと引きついでいってもらいたい。

そして思い出すだろう・・・・・・・。「私たちが作った大杉池を」

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