荒川と中川を分ける堤防を通称「中土手」と呼んでいますが、上に高速道路を通すために両岸を硬い護岸で囲み、残土などを高く積み上げたので、中土手全体としては、乾燥した高水敷になっていました。しかし、そんな中でも、場所によっては、雨水が溜まり、湿地性の植物が生えているところもあり、自然環境保全モニターの野村圭佑氏が、1994年、総武線下流部の湿地に絶滅危惧種のミズアオイを発見し、建設省荒川下流工事事務所に対しその保存と湿地の拡大策を申し入れたのが、中土手五色池ができたそもそものきっかけです。


この要望を受けて、95年7月、荒川下流工事事務所は、「自然懇談会」に中土手の自然回復工事を提案し、市民参加方式で行なうことで合意されました。96年1月、広く市民に呼びかけが行なわれ、集まった市民によって、「中土手に自然を戻す市民プロジェクト実行委員会」が結成されました。その中で、池の基本構想が話し合われ、会の役員や役割などが決められ、160メートル×50メートルの敷地内に、大小5つの池とひとつの山を作る設計図ができ、その内、一番大きな池(1号池)は、市民が自由にして良いものとし、他の4つの小さな池は一切手を加えずに自然の回復を観察する池と決めました。

造成工事は、まず、敷地内の表土を剥がし、池や山は土木器械によって造成していただき、雨水を池に導く水路や、水が川のほうに流れ出さないようにする土手の構築、そして観察に邪魔となる残土中のコンクリート・鉄筋の除去などを市民の手作業で行ないました。2月から6月まで9回の作業で、延べ230人が何らかの形で池作りに参加しました。

6月に池の完成を祝って、40人が参加して祝賀会を持ち、会の名称を「中土手に自然を戻す市民の会」に改め、規約と会費(一家族年2000円)、池の名称(五色池)などを決めて本格的に活動を開始しました。以後、ほぼ毎月一回(定例は第3日曜日)に観察会と作業を兼ねた集まりをもち、お昼はトン汁を作って弁当を食べることが定番となっています。会員は約100人、毎月の観察会には10人〜20人が参加し、毎月一回「五色池通信」を会員に送っています。

五色池5年間の移り変わり

1年目
 五色池の上流側川沿いに、細長い池があり(2、3年前に実験的に建設省が掘ったもの)、そこにたくさんのオタマジャクシがおり、池同士をつないだら、早速入ってきて、五色池を泳ぎまわりました。ドジョウも一緒に入ってきて、その後、夏に雨が降らず、池の水が涸れてしまったら、ひび割れた泥の下から、ドジョウが出てきてみんなを驚かせました。

池のまわりにイヌビエなどの草が生え、それらの草の実が稔ったったころに、雨水がたまって池ができると、それを食べるオナガガモなどのカモ類が沢山やってきて、多いときは100羽以上も集まり、水鳥の楽園となりました。

2年目
の春、枯れた草やカモの糞などを栄養にして、日当たりの良い池には大量のミジンコなどが発生し、それを餌とするオタマジャクシやトンボのヤゴがたくさん育って、池は、カエルやトンボの楽園となりました。夏にはギンヤンマが池の上を悠然と飛び、おつながりで産卵する姿も見られました。敷地内のヨシ原にオオヨシキリが巣を作り、ヒナをかえしました。

池の周りには、カヤツリグサの仲間をはじめ、湿地性の様々な植物がたくさん繁茂しました。野村さんが、絶滅危惧種タコノアシを発見し、最初はわずか数本でしたが、周りの草やヨシに負けないように、丁寧に草刈をしてやるなどしたところ、その後年々株が増えて、五年後の現在では、見事な群生地となりました。

 3年目  2年目にはちらほらとしかなかったヨシやガマが3年目になると、どんどん広がり、池の水面がガマで覆われるようになりました。水面が見えなくなると、トンボが産卵に来なくなるので、冬には池のガマ抜きを行ないました。池の周りの草地も、セイタカアワダチソウや、ヨシ、ツルマメなどに覆われて、草原ではなく、草薮になってしまいました。そこで、冬には草刈りの作業を何回も行ないました。

 4年目  春になると、ヨシや草を刈った跡にはきれいな若草が生えましたが、夏にはたちまち草丈が伸びて、草薮になってしまいました。鎌による草刈りでは間に合わず、肩掛け式の草刈り機を借りてきて何回も刈りました。池の中も半分くらいはガマで覆われてしまいました。人が常時手を加えてやらないと、草原や池は維持できないことが分かりました。高さ30〜40cmの草原は、足を踏み入れると、バッタやガ、クモ、その他いろんな虫が飛び出してきます。農薬を撒かない草原は、まさに命が溢れています。バッタやイナゴを食べるカマキリがいて、それらを狙って小鳥がやってきて、その小鳥を狙う猛禽類が飛んで来る。ここにはまさしくひとつながりの生態系があります。

 5年目  春、市民の池は地面から50センチ掘り下げた部分と、約1メートル掘り下げた部分の2段階になっていますが、その高い部分に繁茂したヨシの根を剥ぎとる作業を行って、池が少し広くなりました。なぜかそこにアメリカザリガニが異常繁殖し、ヤゴやオタマジャクシなどが食われて減少する傾向が見られました。池には、ヒメガマがたくさん繁茂し、秋から冬にかけて、良く晴れて乾燥した日には、ガマの穂の綿毛が風に舞う現象が観察されます。これをみて、観察会に参加した人は、「白い穂綿が飛ぶ五色池に命を観じました。」と感想を述べています。冬には、草刈り機を購入して、草を全面にわたって刈り、新緑の芽生えを待ちました。

 6年目 の春、中心部の島の回りを深く掘って、島に犬が近づけないようにし、カルガモなどが営巣できるようにしました。この作戦は大成功で、早速カルガモのつがいが営巣し、5月末にはめでたくヒナが誕生、7〜8羽のヒナが親ガモに付いて池を泳ぐ姿が見られました。

五年たって、植相がほぼ安定し、人がヨシやガマを刈って手入をしていくことによって、ほぼ安定した自然環境を維持することができるようになったと考えています。年間を通じて、昔この辺りが田んぼであったころの自然を観察することができるようになりました。絶滅危惧種のミズアオイやタコノアシは、田んぼの雑草であったのですが、人が手をかけて周りの草を刈り取ることによって、繁茂しているのです。

五色池5周年 春祭り

池が完成してちょうど5年になることを記念して、5月5・6日、「5周年春祭り」を行ないました。

当日は約40人が参加して、様々な催しを行ないました。自然観察とトン汁はもちろんのこと、ザリガニ釣り、バーベキュー、投網(荒川対岸の下平井干潟で)、ヨシズ編み、チマキ作りなどなど盛りだくさん。中でも炭焼きは、はるばる寄居から運んできた竹を切って割ってドラム缶に詰め、一昼夜かけて火を焚きつづけるというもの。前日の昼ころから準備し、徹夜で火の番をして、約20時間。火を止めたのが少し早すぎて、生焼けのものが大部分でしたが、立派に黒々と焼けた竹炭若干と、肌をきれいにするという竹酢液も採れて、参加者一同大満足。増えすぎたザリガニを捕ってゆでて食べたり、投網で捕った魚をてんぷらにしたり、もち米を笹に包んで煮るチマキ作りに挑戦したりと、それぞれ初めての経験を含めて終日楽しみました。

ザリガニの「天敵」は小学生

この年(2001年)春、五色池には、小学校の子どもたちが、先生といっしょにヤゴを捕りに来たり、親子でザリガニ釣りに来たりしていますが、今年の6月に、江戸川区内の大杉 小学4年生と、教師・父母合わせて約70人がやって来て、中土手のクリーンエイド(ゴミ調査・回収)と水質調査、そしてザリガニ釣りを行ないました。独りで20匹も釣り上げる子もいて、まさにザリガニの「天敵」の登場です。

大杉小学校では、年間を通じて、子供たちに五色池の自然と触れ合わせ、何かを感じ取ってもらお宇土、春夏秋冬の各季節ごとに五色池に来て、自然の中で体験学習を行っています。池のザリガニ釣りをする子、水生昆虫を調べる子、池の周りの植物を採取して調べる子、昆虫を取って調べる子、池や荒川の水質を調べる子、ゴミグループは池の周りや河川敷のゴミを調査、鳥グループは五色池を離れて干潟のあるところまで観察に出かけるといった具合に、それぞれ自分達で決めた「めあての活動」をしています。

 大杉小学校の活動は、近くの学校でも評判になり、翌年(2002年)からは、さらに2校が五色池に自然体験学習に来るようになりました。始めは、ザリガニ釣りに夢中になりますが、次第にそれ以外の様々な自然に関心を持つようになるようです。中土手の会では、学校の求めに応じて、子どもたちにザリガニの釣り方や、ヨシ笛の作り方、ヨシズ編みなどを指導したり、一緒に遊んだりしています。

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五色池の歴史と自然の遷り変わり

       

1タコノアシ⇒

総武線鉄橋手前、高速道路左側の河川敷に五色池はあります。

←ヒメガマの穂

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